オルレアン入城の日!
2011年 04月 29日
画像はフランス中部の都市『オルレアン』です。
この町は紀元前、あの『ユリウス・カエサル」により征服され破壊されました。
後にローマ帝国の皇帝『アウレリアヌス』により復興し『アウレリアヌスの都市』と呼ばれるようになり、その後呼び名が変化し『オルレアン』となったと言われています。
こちらはオルレアンの『マルトロワ広場』にある女性の銅像!
オルレアンといえば、以前このブログでも少し触れた『百年戦争』の際、オルレアンをイギリス軍の包囲から解放した英雄『乙女 ジャンヌダルク』ですよね!
582年前の今日(1429年4月29日の夜8時頃)、ジャンヌはイギリス軍に降伏勧告状を送りつける為にオルレアンの城に入城したとされています。
画像は僕が画家として尊敬するひとり、バロック絵画の巨匠『カラヴァッジョ』が1598年頃に描いたキリスト教の聖人『聖カテリーナ』です。
西洋絵画において『マグダラのマリア』を描く際、その象徴として香油壺や髑髏が一緒に書き込まれてきたわけですが、『聖カテリーナ』の場合は、「壊れた車輪・足元の王冠・花嫁のヴェールと指輪」、そしてこの作品でも手に持ってる「剣」等が用いられてきました。
ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵する『声を聞くジャンヌ・ダルク』です。
1879年に『ジュール バスティアン・ルパージュ』が制作した作品。
ジャンヌは幼い頃から『声(神の啓示)』が聞こえてたそうで、オルレアンの包囲を解く際もその『声』に従い動いた結果だったそうです。
後にジャンヌが処刑される際の裁判答弁によると、その声の主というのが『大天使ミカエル』や『聖カテリーナ』等であったとされてます。(この作品にも描かれてます)
ジャンヌはオルレアンに向かう前に自身が使用する『剣』を遠く離れた場所まで使いに取りに行かせたそうです。
その場所は『聖カテリーナ教会』の祭壇裏。
剣を取りに行かされた者はもちろん、教会職員さえそこに『剣』があるなんて知らなかったそうですが、ジャンヌが言うとおり祭壇裏を調べると箱が見つかり中から『剣』が出てきました。
この話が事実ならホントに『声』が聞こえてたのでしょうか?
この時発見された『剣』は、五世紀末に現在の西ヨーロッパ付近に創建された『フランク王国』の初代王『クロービス』が使っていた剣だったそうです。
ちなみに、初代王クロービスの剣は人を殺す為の武器ではなく象徴としての剣だったらしく、ジャンヌ自身この剣で人を殺す事はなかったといわれています。
神話のように伝説化され多少誇張されてる部分はあるかもしれませんけどね。
百年戦争の際、オルレアン解放に貢献した後『シャルル7世』をランスで戴冠させフランス軍の勝利に貢献したジャンヌですが、その後『コンピエーニュの戦い』で捕虜となり、1431年5月28日に宗教裁判で魔女とされルーアンで火刑となりました。
後にジャンヌが火刑にされた地『ルーアン』にてこの処刑裁判の破棄が宣告され、1920年5月16日にベネディクトゥス15世によりジャンヌは『聖人』となりました。
現在でもジャンヌが解放した『オルレアン』の市民は彼女を『オルレアンの乙女』と称え、誠意を持ち続けているそうです。
画像はルーブル美術館が所蔵する、19世紀ロマン主義の巨匠ドラクロワ作『民衆を導く自由の女神』です。
1830年に制作されたこちらの作品は、まさしく同年起きた栄光の三日間『フランス7月革命』が主題とされてます。
中央に描かれた女性は『自由』を象徴しているそうですが、僕の中でいつもこの女性とジャンヌダルクがオーバーラップしてしまいます。
個人的にジャンヌダルクの生涯には関心を抱いている為、今回はこのようなアウトプットの場とさせていただきました。(笑)
本日も最後まで読んでいただきありがとうございます!
by peacebranch
| 2011-04-29 14:34